ソ連本

 小室直樹先生が世間を驚かせたという当時のベストセラー本
 「ソビエト帝国の崩壊」を読んだ。

 ソビエトが崩壊してしまった今となっては、この本の衝撃を真の意味で味わうことはできない。
 発売当時は、トンデモ本扱いをうける程の衝撃があったようである。

 さて、現在手に入る小室先生の本に共通して見られる宗教学の見地や
 ヴェーバー社会学の見地は少し控えめ。
 まぁ、短い本なので仕方ないのか。
 
 全体を通してソ連という国の無理を指摘されている。
 一番興味深いのは マルクス主義ユダヤ教 というところ。

 ソ連におけるマルクス主義の基での経済形態と指導者を
 ユダヤ教における契約内容と預言者に見立てるという考え方なのだが、
 これは今聞いても驚きだ。
 確かに言われてみると〜 という感じだ。

 ただ、私の知る限りではユダヤ教預言者はここのところ現れていないと思う。
 すると、ソ連は指導者による新たな経済計画を建てられなかったことで滅びた。
 が、ユダヤ社会は現在も健在だ。
 両者が似た構造を持つことは納得できるが、そこのところが良くわからなかった。

 自分の読解力がないのか、考察する頭脳に問題があるのか、
 この本の情報だけでは難しいのか…
 そこは不明だ。



 

IN FLAMES

  2012年を迎えて一月も経ってしまい、様々なところで2011年のまとめも終え始めている模様。 
 私はというと、まったくまとめていない(汗)
 
 ってことで2011年に出たCDを思い返してるのだが…
 結構覚えていない!!
 何が今年だったのかを忘れるのよね〜
 で、他の人のを見ながら考えるわけデス。

 そこで思い出したのがIn Flamesの“SOUND OF A PLAYGROUND FADING”

 あまり高い評価を得ている様子は見られない。
 そして、私自身の最初の印象は地味だ。
 が、少し前に聞いた時には、イメージよりかなり良いと思ったことがあったのだ。

 改めて聴いてみたのだが、やはり良い!!

 バンド結成以来の中心メンバーであったイェスパーの脱退でどうなるかと思われたが、
 完全に杞憂に終わっていると言って良いだろう。
 サウンドは近年の作品と同じようにヘヴィ路線だ。
 スピード感も特にない。 このあたりは最近の彼らの傾向である。
 そんなんでプラマイゼロの要素。


 最大の魅力は、やはりメロディセンス!!!
 
 彼ら独特のこのセンスは強烈。
 聞く前の不安やら地味ってな印象を完全に吹き飛ばしてくれる。
 タブン、それぐらい私は彼らのメロに惹かれまくってるのだろう。
 もう信者の域だ。

 さて、一曲選ぶとなると迷う。

 あまりにメロディアスでキャッチーでいて泣き満載のこの曲で。
 ここ最近この手の曲を必ず入れてくるのだが、ハズレがない!!
 この曲も涙なくして聞けない名曲。
 カラオケに入んねぇーかなぁ〜
 


 
 
 そして、アンダースのヴォーカリストとしての進化が凄い。
 デス声ともクリーンヴォイスとも形容し難い独特な発声。
 器用だなって印象。
 これぐらいメロディアスで激しい音楽にはピッタリかと。
 ヘヴィな泣き発声が完成してるね。

 さて、来日はいつでしょうか?

「ふしぎなキリスト教」批判って…

 新書大賞に「ふしぎなキリスト教」が選ばれた。
  http://www.chuko.co.jp/special/shinsho_award/

 この本アマゾンをはじめとして、キリシタンからの批判が多い模様。

 
 で思ったのが、「何故?」ってこと


 私も読んだのだが、大きな問題があるようには思われなかった。
 というのもキリシタンとしてとるべき態度は、
 教えやそのものに興味を持ってもらうことが大事というものだろう。
 
 その意味で新書として対談形式という解りやすい形での出版は喜ぶべきでは?と思うのだ。

 その中に無茶苦茶なことを言って、キリスト教を批判したり、
 大きく誤解をまき危険な思想を生むような記述があれば紛糾すべきだろう。

 が、私が見たところそのような記述は特に見当たらない。
 

 確かに事実誤認や虚実は問題だ。
 さらに学問的スタンスだと尚さらだろう。

 が、キリシタンとしては少しでも興味をもって貰えるきっかけができるのは歓迎すべきことだと思うのだ。
 年号が違ったり実際の教会の実態と多少違ったところで、何が問題なのだ?

 自分の信じる教えと違っていることが問題なのか?
 多少知識が少ない人が本を書いたらダメなのか?
 自分の知識が高いことをひけらかしたいのか?
 宗教戦争でもはじめたいのか?



 キリスト教ってのはもっと懐の深いものだと信じていただけに残念でならない…

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

お題に応えてみる①

今週のお題「バレンタインの思い出」

 高校時代。
 特に何もなかったバレンタインの次の日。
 いつも通り友人と下校の途にあった。

 バレンタインの次の日とはいえ特に何もなかったこともあり、
 タブン変わった会話もなかったと思う。

 学校からバス停に向かう(バス通学でした)ちょうど中間地点あたりで、
 突如後ろから女の子の声が
 「○○君これ」
 走ってきたらしく、声が荒れていた。
 髪も荒れ気味、色白の頬は紅く染まっていた。
 ハァハァという激しい呼吸にのせるように、言葉が出てきた
 「遅れてゴメン  ーーーーーーー    」

 そこまで聞いて、私はその場から走り逃れた。
 二人きりにした方が言いたいこともいえるのかな?
 という考えだった。
 
 その後少しだけやりとりがあった後、彼女はもと来た道を戻り、
 友人はトボトボこちらに向かって歩いてきた。

 「逃げてんじゃねーよ!」
 って怒られた。
 「だってさぁ〜」とか何とか言った。

 
 バレンタインの醍醐味ってのは、意外性だと思う。
 想像もできないような時に、予想し得ない人から貰うってのが良いのだ。
 そして、それがあり得るので男ドモはドキドキワクワクなわけで、
 貰えないとガッカリなのである。

 バカらしいといえばバカらしい。
 しかし、そんな気持ちが大事だと思うのデス。
 まして、若くて学校という状況も揃っている。
 中学高校を卒業すると中々そういう状況はないように思う。
 恋人がいる時もそういうわけにはいかないだろう。
 恋人なき若人の特権。折角だ楽しんでしまおう!

 期待し現実を知り、また夢みる。
 これぞ、知的生命のダイナミズム!!
 
 思い切り期待して、しっかりガッカリしようぜーー!!



 ちなみに、その後あの二人に何かあったという話は聞かない。
 
 

合唱曲

 ひょんなことから“COSMOS”という合唱曲を知った。
 これが素晴らしい!! 
 ところどころ、切なさを感じさせながらも全体的には明るく、合唱曲のスタイルでこれは凄い…
 Bメロの最初の方が特に素晴らしい。
 無論、サビもイイ。

 


 私の学校ではこの曲を歌ったクラスはなかったように思う。
 当時、気に入ってた曲は “IN TERRA PAX” “そのままの君で” “流浪の民” “怪獣のバラード” 等々

 こんなとこだったかなと思うのです。 
 どれも歌うことはできず…
 当時は断然 “流浪の民” が好きやったのだけど、
 今聞くと “怪獣のバラード” も捨てがたい。 わかりやすい歌詞で泣けるのよね…


 実は久石譲さんも“旅立ちの時”という合唱曲をかいてらっしゃるようで。
 こちらも久石フレーズ全開の良曲。

 

 
 こういうのを聞いてると合唱がやりたくなる…
 合唱部は男の人材不足状態だったし、
 入ってりゃ良かったなぁ〜なんて思う今日この頃。

開眼

 これまで自分が感じていた価値観や生きる姿勢に一つの答えが見えた気がしている。

 私の根本的価値観は、個人の意志を尊重するということだ。
 だから相手に価値観や考え方を押し付けるようなスタンスが嫌いだ。
 人は自己の内面からの声に真摯な姿勢で耳を傾ければ良い。
 これが一つの結論であった。

 が、ここに問題があった。
 それは人の悪しき属性だ。
 倫理的におかしなことを考える人がいた時、その人を抑えられるのかが大いに疑問であったのだ。
 
 一方で絶対的価値観は否定したいので、そのような属性を悪だと決めつけていいのか。
 という問題にも直面していた。
 
 かといって反社会的思考、行動を野放しにしておくわけにはいかないであろう。
 だから一定の価値観を押し付けてもやむなし。
 しかしそれは、表面的に従属し内面では悪しき属性を悪化させることになるであろう。

 この辺りが私の苦悩であった。


 ここで一冊の本に出会った。安富歩さんの「生きるための経済学」という本だ。
 これは経済学の否定から話を始め、生きることを考える本である。
 現在はもっとわかりやすい「生きる技法」という本があるらしいが…
 
 この本に背中を押される気がしたのだ。 

 細かく書くのは大変なので、一言。
 信じる。そこから始めよう!

 だいぶハショッたがこれが肝要だと思う。

 この本を読み、私が考えたのは、
 人の内なる声が絶対に正しいということはない。
 が、その時点で我々生物が下せる最善の手法はそこからしか生まれ得ないということだ。
 無論、そこには外からの忠告を真摯な姿勢で受け止め、自分を変革していくことも重要な要素として含まれる。

 人間は不完全だ。 個人の違いなど比べ物にならない程に不完全だ。
 しかし、不完全は不完全なりの機能があり、そこを追求するのがベストである。
 そして、それに代わる完全なるものもないのだ。

 

  現時点での私の結論。

 汝、内なる声に耳をすまし、そこを目指せよ!


生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

年賀状→寒中見舞い→そして…

 今年は三人の知人から年賀状が届いた。
 家族以外から届くのは何年ぶりか…
 
 珍しいことに加え、元来の筆無精。返信が遅れた。
 そんなんで「寒中見舞い」という形で返信しておいた。

 が、一人にだけ出すのを忘れていたことを思い出した。
 この方は、本命で(何のだ?)内容を練ってから出そうと思い、とっておいたのが失敗だった。
 
 
 今回のようなことはあまりない。 なぜなら年賀状をもらうことが殆どないからである。
 しかし、似たようなことは山のように起こる。
 そう、私はどーしようもないくらい行動が遅いのだ。
 
 何かやるべきことがあってもヒトマズ、置いておく。
 そして期限ギリギリに慌てて着手するのだ。
 これを何とかしたい。 本当に。 猛烈に。
 夏休みの宿題じゃないんだから… 本当に勘弁してほしいものだ。


 年賀状程度であればそこまで問題はないが、仕事や公向けに発表するものは大変だ。
 とにかく時間がないので推敲が荒くなってしまう。
 ヒドイ時など考えがまとまらないまま、内容が散逸的な文章で終わってしまったこともある。

 これでは評価もさることながら、私自身の力を伸ばすこともできない。
 自分の考えや、事実をまとめ上げることは結構労力を必要とする。
 そして、それができていないと人を納得させることができない。
 自分自身も考えや知識をまとめることができず、持ち腐れ状態になってしまうのだ。

 さらに、この行動の遅さはヴァイタリティの面でも存分に発揮される。 
 「やりたい」「行きたい」と思っても実際に行動するのがメチャメチャ遅れる。
 それで期を逃し、酷いときは自分自身の中の興味までが冷めてしまう。
 
 これでは、「つまらない人生」と言われても仕方がない。
 せっかく生まれてきたのだ。もっと楽しんでいこう!!


 今日から「思いたったら即、行動」ってな精神でいくぜよ。


 さて、寒中見舞いの時期も終わってしまったが、どうしようかな。返信。